医師国家試験受験記

私は医師3年目だ。

まだまだ若い。

しかしながら、国家試験を受験したころとは何かと違う。

医師としての経験、専門性は比べようもないくらい進歩したが、あの頃の方が優れている点もあるだろう。

自身の反省のためでもあるが、今後同じ道を志す人や別の重要な試験に臨む人の参考になればとも思う。

当時、リアルタイムに感じていたことは当時の自分にしか書けないことだ。

今一度、あの頃の自分の気持ちを覗いてみよう。

沢山の日記があるので、順次掘り起こしてナンバリングしていこうと思う。

ぼちぼち載せていくので、よろしくお願いします。

あしなが流マーク式試験攻略法

今回は、僕がどうやってセンター試験や国家試験を攻略したのかについて、タネを明かします。
自慢ではありませんが、他の受験生の3~5倍速で試験対策を終えています。
それは僕が優れているからではなく、合格基準を考え、無駄を省き、効率良く対策しているからです。記述試験はそれほど得意ではありません。
では、御覧ください。

世の中の多くの試験はマーク試験だ。
記述試験とは、決定的に異なる。
基本的に答えが目の前に与えられていて、その中から正解を選べば良い。
従って、実力以上の得点を叩き出すことが可能だ。
そして、基本的に全部を正確に覚えておく必要はない。
大半は「決まり字」だけ覚えておけば良い。
どう言うことかと言えば、
①基本的にマーク試験の出題内容は限られているし、
②架空の単語が出されることは殆ど無い、
という性質を悪用して覚えてしまうことなのだ。
詳しく書くと
マーク試験では、みんなが覚えにくい、勘違いしてしまいやすい、そんなところを中心に問うものだ。
例えば、世界史では、コシューシコとコシュートの様な似た人名に関することをごちゃ混ぜにして、五個の選択肢を作る場合がある。ルイ14世と15世のひっかけもあるだろう。
同時代に起こった出来事を纏めて問うこともある。例えば、産業革命の発明家と発明品の組み合わせなんかは頻出事項だろう。
こう言ったものを一つ一つ、まともに覚えていられれば良いが、そんなに一つ一つの些末な事に時間は割いていられないだろうし、まともに必死に覚えたものほど、試験中には混乱し、ド忘れしてしまう場合が多い。
だから、基本的にはまともに覚えるなんてことはしてはいけない。
覚えるなら、試験中に思い出す自分の姿を想像して覚えなきゃダメだ。
前置きはこのくらいにして、今から様々な手口をお見せ致しましょう。
ここでは、医師国家試験で問われるものやセンター試験の世界史からいくつか例を挙げます。

パターン①
既述の産業革命について、発明家と発明品の組み合わせ。
山川の教科書によれば、ここら辺が大事らしいです。
ジョン=ケイ:飛び杼
ハーグリーヴズ:多軸紡績機(ジェニー紡績機)
アークライト:水力紡績機
クロンプトン:ミュール紡績機
カートライト:力織機
ワット:蒸気機関
ホイットニー:綿繰機
とりあえず、最初は【カ】ートライトと【力】織機の見た目が同じなところで、一致させる。次に、アークライトのアークから、アクア⇒水⇒水力と連想する。蒸気はムワッとしているから、ワット。綿はほわほわしているから、ホイットニー。
まずは、ここまで覚える。
残りは無理矢理だけど、ブスなジェニーと繋げて覚える。(深い意味はありません。)何度も【ブスなジェニー】と繰り返して、口にしておくと効果的だ。
ジョンケイ:飛び杼とクロンプトン:ミュールは仕方がないから諦めて覚える。
筆記試験ではないのだから、力織機だろうが紡績機だろうが、細かい事は覚えなくて良い。ハーグリーブズなんて名前も必要ない。ブスだけ見えてしまえば良い。
しかも、一度こんな風にやってからなら、不思議と全部を覚えられる確率が高い。
高校生の頃、こんな風に覚えてから、マーク式試験の為の記憶術を編み出せる様になりました。全部なんか覚えて無くて良い。一つ一つの単語でさえも、正確に覚えておかなくて良いのだと気が付いて、とても楽になった。同時に、どんな風に簡単に覚えられるかを考えるのが楽しくなった。
この頃はまだまだ、こんな下手糞で、無理矢理なものも多かったけど、今年やった国家試験対策では、効果が絶大でした。
例えば…

パターン②
感染症と媒介する生物の組み合わせが出題される事はそこそこあります。
具体的には、以下の組み合わせが多いです。
マラリア:ハマダラカ
デング熱ヒトスジシマカネッタイシマカ
チクングニヤ:ヒトスジシマカネッタイシマカ
黄熱:ネッタイシマカ
ラッサ熱:マストミス(ネズミ)
で、普通の人は、これを真面目に覚えるみたいですけど、マーク試験って事を考えたら、そんなのはバカバカしい。この組み合わせだと、せいぜい、マラリアかラッサ熱くらいしか正解選択肢にはなりえないのが分かりますよね?
しかも、マラリアの『マ』と『ラ』は、ハ【マ】ダ【ラ】カに含まれているんですよ。
まずここを一致させれば間違えません。
後は、ラッサ熱をラット熱とでも言い換えておいて、残りのものは○○シマカが原因だ、とだけ覚えておけば何とかなる。
これは、偶然なのと、数が少ないから当てならないと思われるかも知れないけど、意外と覚えにくいものほど偶然の一致はあるんですよ。
例えば次のもの…

パターン③
職業性腫瘍と原因物質の組み合わせ
膀胱癌:β-ナフチルアミン、ベンジジン、オーラミン、4-アミノジフェニル
肺癌:アスベスト、タール、ヒ素、クロム、ニッケル
肝癌:PCB(ポリ塩化ビニル)、四塩化炭素
胆管癌:1,2-ジクロロプロパン、ジクロロメタン
肝血管肉腫:塩化ビニルモノマー
白血病ベンゼン

どうですか。これを覚えろって言われたら嫌になるでしょう?
実際に多くの医学生は諦めていましたね。
でもね、良く見ていけば、大分楽になりますよ。
まずは、膀胱癌:β-ナフチルア【ミ】ン、ベン【ジ】ジン、オーラ【ミ】ン、4-ア【ミ】ノ【ジ】フェニル
つまり、【ジ】と【ミ】が含まれているものです。因みに、他の腫瘍の原因物質にこの2文字は含まれていません。だから、『膀胱癌は地味』とでも覚えておけばいい。試験中は、このカタカナ2文字だけを探せばいい。こう言うのを便宜的に『決まり字』と呼んでいます。
次に、塩化⇒肝の関係を押さえて、塩化が沢山あれば肝癌、一個だけなら肝血管肉腫、とだけ覚えておけばいい。実際には、『塩素が沢山だと癌、少ないと肝血管なんとか…』としか記憶しませんでしたが。
更に、ジクロロ⇒胆管癌白血病ベンゼンと一対一対応させてしまえば、残りは肺癌で良い事になります。
一応、これだけでマークシートなら満点なんですが、肺癌も、アスベストが原因なんて一般に知られている事だし、煙草≒タールもわかるし、ヒ素、クロム、ニッケルだけ個別に覚えておけば働いてからも困る事は無いかな。

パターン④
内容は何の事だかさっぱりかもしれませんが、御容赦下さい。
・上気道の障害では、吸気性喘鳴が聴取され、拘束性障害を来す。
・下気道の障害では、呼気性喘鳴が聴取され、閉塞性障害を来す。
これは、呼吸器の一大テーマで、手を変え、品を変え出題されるんですが、時々混乱します。呼吸器の仕組みを完璧に理解して、用語の定義も完璧に覚えていれば何ら問題は無いんでしょうけど、現実は…なので、こんな風に片付けました。
ジョウ気道:キュウ気性:拘束性障害(息が上手く吸えないこと)
…小さいヤ行+ウの一致
カ気道:コ気性:閉塞性障害(息が上手く吐けないこと)
…カ行で一文字。ハけないからヘい塞性(ハ行の一致)
この関係性だけに注目して、全く間違えなくなりました。問題も結構惑わせるように作ってくるし、3日間で500問も解かされるので、呼気性と吸気性なんて見間違える事が多々あるんですよ。だから、なるべくシンプルに解けた方が良い。
仕組みなんかを、疲れた頭で考えたら、間違いの元だし、無駄に時間がかかる。

パターン⑤
隣接遺伝子症候群には以下の7つが知られている。
アンゲルマン症候群
イリアムズ症候群
スミス-マゲニス症候群
ディジョージ症候群
プラダ-ウィリー症候群(PWS)
ランガー-ギーディオン症候群
ルービンスタイン-テイビー症候群

実際に、隣接遺伝子症候群を選べ、なんてものが今年の国家試験でも出題されました。
この7つの共通点が見えますか。
もちろん、何が何だかわからなくても結構です。(僕も良くは知りません。)
これを全部すらすら言える人がたまにいるんだから、驚きます。
そんな事より、他にやる事が有ると思うんですけどね。
医学の勉強だけしてても、良い医者にはなれませんからね。
与太話はさておき、見つかりましたか。
正解は、゛(濁点)が付いている事です。
僕はそこにしか注目していませんでしたが、案の定正解出来ました。
まあ、マーク試験なんてそんなものです。

とりあえず、このくらいにしておきましょうか。
今回ご紹介したのはほんの一部ですが、僕のマーク試験を攻略する為の手口は大きく分けて5つです。
手口①決まり字
手口②音に注目
手口③形に注目
手口④偶然の一致
手口⑤こじつけ
これに、語呂合わせなどを併用することで、格段にマーク式試験に対応し易くなると思います。
ご自分で、様々な方法を編み出して下さい。
大した実力がなくても、好成績を狙える夢の試験、それがマーク式の試験です。
もちろん、こんなふざけた方法だけで全てが解決する訳ではないので、基本的な事は真剣に勉強する様にして下さいね。
(2015年02月24日)
 

ADHDの精神科医が自分自身を治療する

今日は最近、認知度の上がってきたADHDと治療の実態について、少し生々しくお話ししようと思います。

ADHDとは、[注意欠陥多動性障害]の略称で、発達障害の一つです。
どんな病気かと言えば、不注意で衝動性が強く、じっとしてられない性格の持ち主をイメージしてください。
例えば、のび太くんやかつおくんの様なドジな少年やとっとちゃんのような落ち着きのない少女です。

一括りにはなっていますが、不注意が中心のタイプ、多動が中心のタイプ、両方ともあるタイプに分けられます。
昔は子供の病気と捉えられていたようですが、最近では大人のADHDも注目されています。
大人と子供とでは別の病気なのか、同じ病気なのかここには大きな議論があって、正式な答えはまだ出ていません。
個人的には同じものだけれど、環境(周りのサポート)や本人の成長次第で不都合を感じるかどうかによって変わってくるものだと思っています。

僕の場合は、子供の頃から顕著な特徴が沢山ありました。
例えば、じっとしてられない。黙って人の話を聞いていられない。すぐに動き回る。出し抜けに答えたり、周りの変化に気づかずに出遅れたり、無くし物や忘れ物が多かったり、宿題をやれなかったり、やっても忘れたり、うっかりミスでテストは間違えまくったり…
こんなことで苦労してきました。
周りの大人からは沢山叱られましたし、自分では頑張っているつもりでも全然ダメで自信が持てませんでした。

学生時代にADHDについて学んだときから、ずっと自分がそうではないかと思ってきましたが、親には『そんなわけないだろ、バカなことを言うんじゃない。』と否定されたので、見て見ぬふりをして来ました。
ただ、これに関しては親に虐待されてきたために多動性が顕著だっただけのようにも思います。(註:虐待された子供は多動になる傾向がある。その場合は区別が殆どつかない。)
今では多動性は全くないのですが、成長したから無くなったとも考えられるし、この点に関しては誰にもわかりません。
そして、虐待していた張本人がそんなことを認めるはずもなければ、精神疾患を恥だと思っていたり、本人の心掛けの問題だとしか思っていなかったり、現実を見ようとして居なかったりする場合は、非常に厄介なことになる。
それが僕だったんだと思います。

ずっと疑問に持ちながらも、他の精神科医に相談しても『医者になってるんだから大丈夫でしょう』とか『考えすぎじゃない』なんて言われてしまい、なかなか根本的な解決には至りませんでした。

ただね、精神科医になって、自分で外来をやるようになってから、不思議とADHDの患者が来る。
毎週来る。
他の精神科医に言ったら驚かれるほど沢山来る。
そして、僕は彼らと似ている。
彼らの困っていることを尋ねるのに、一般的な診断基準の項目だけじゃなくて、僕自身がずっと悩んできたことを問うて見れば、当たる当たる。
『なんでそんな事がわかるんですか』と驚かれたり、『やっと分かってもらえました』と泣かれたり…。
僕にはわかるんだ。彼らの苦しみが。

うつ病とか統合失調症のような一般的な病気とは全く違う特徴がある。
多くの病気は[元々はこうじゃなかった!]という実感がある。
だけど、ADHDとかの発達障害は生まれたときからずっとその状態で生きてきているから、それが病気のせいだなんて思いもしない。
とにかくうまく生きられなくて、落ち込んで、自分がダメだと思ってしまって…。

そんなこんなで目の前の患者の苦しみを理解しながら、自分自身に益々疑いの目を向けながら、治療を進める中で疑念はどんどん膨らんでいった。
生活指導に関しては自分が気を付けていることを伝えるから良い。
問題は薬を処方する場合だ。
自分が飲みもしないのに、自身の病気からどこか目を背けているのに、偉そうに何を出しているのかと。
はっきり言って、何の説得力もなかったと今は思う。

先月、ADHDの勉強会に出席した。改めて自分の疑念を演者に訊いてみた。
医者になってるんだから大丈夫ってお決まりの答え…だけじゃなかった。
気になるなら、試しに飲んでみれば良いと。

翌週、早速同僚を捕まえて処方してもらいました。それが4週間前のこと。
飲み始めると副作用が出ることが多いらしい。
しかし、全く何も感じない。
効果が出るまでには早くても2週間。
また、最大量まで飲まないと効果が出ない場合も多い。
普通のやり方じゃ最大までいくのに2~3ヶ月かかる。
そんなの待ってられない。
色々調べ、販売元の営業にも聞き出して、普通なら患者相手にはやらないようなギリギリのペースで増量してみた。
そして、2週間半経ったある日、上司に言われた。
『最近落ち着いてきたね。穏やかになったよ』と。
嬉しかった。
この瞬間まで何も効果は感じていなかったからだ。
そこから振り返って思うが、色々変わってきたことがある。
例えば、前ほど日中の眠気がない。
当直で寝不足でもそれほど辛くない。
夜は携帯を見ずに早めに眠るようになってきた。
電車に乗るとき、前よりも待てるようになった。

この病気は本人のやる気だけの問題じゃない。
ただ、どうしてもそのように思われ勝ちだ。
だからこそ、本人は苦しむことになる。
もしも、子供の頃に今の薬と出会えていたなら、僕の人生はもっと明るく楽しいものだったと思う。
勿論、僕自身の時間は戻らない。

でも、せっかくこの仕事をして居るんだから、同じ悩みを持った人を一人でも助けられればと思う。
類は友を呼ぶって言うからね。

なぜ精神科医になったのか

2014年06月27日の日記(僕はパパを殺すことに決めた)
私は昨日、父親との縁を切りました。
二度と会う事は無いし、冠婚葬祭を含めて関わる事はない。
子供が生まれても決して会わせはしない。
死んでも葬儀には出ないし、相続もしない。

どうしてこうなったのかを含めて、彼を簡単に紹介します。

東京大学理科Ⅲ類出身。医師。
神童と謳われ、学習塾では教える事がないと拒まれた。
全てが思うがままだった。
そのまま人生は進むと思っていたのだろう。
理想通りに結婚し、順調に跡取り息子も生まれた。
それが私だ。

ただ、私は彼の思う程には出来が良くなかった。
2歳の時には、時計がすぐには読めなかったし、足し算すら出来なかった。
そのせいで殴られ、鼻血を流した。
そして、私が不出来なのは母のせいだと責め立てた。

以降、彼は些細なことで激昂する様になった。
母と私に罵声を浴びせ、殴る蹴るを繰り返し、家の中の至るものを破壊した。
母は病院に駆け込み、頭を縫った事もあった。
小学校の1年生の時に水泳教室を休んだら、手の甲と尻タブに御灸を据えられて、数日間学校を休まされて、食事を貰えなかった事もある。
1週間痛み続けたし、最初の夜は痛みで寝られなかった。
今でも火傷の痕は残っている。
階段から突き飛ばされたり、椅子を投げつけられたりした事もあった。
本当によく死ななかったものだ。
たぶん、死ぬ寸前のところで止めていたのだろう。
彼は‘優秀な’医者なのだから。

中学入試が終わった段階で、絶対に医者にはなりたくないと思っていた。
高校生になってからは『おまえは不出来だから、医者になるしかないんだ』と言われたし、
『医者じゃないなら生きている価値がない』とも言われた。
だから、法学部に行きたいと告げたときには、当然殴られたし、『今後金は出さん』とか脅された。

その後の流れは省くが、結局医学部に入って、親子関係は一旦正常化した。
5年ほど、初めて過ごす平穏な日々が続いた。
しかし、昨年の或る夜に、過去の虐待を持ち出したことから、関係は悪化した。
体格で敵わなくなった父は、私を無視するようになった。
普段は別に暮らしているので、それほど問題はなかった。
しかし、先日、祖母に大事があり、母は田舎に戻り、種々の事情で私は実家に戻らざるを得ない日があった。
事件はその夜のこと。

帰るもドアのチェーンが掛かっており、呼び鈴で父を呼ぶしかない状況だった。
しばらくして扉が開き、中に入った直後の事だった。
『なんで勝手に帰って来たんや』と第一声。
戸惑う私の答えを待つことなく、木刀の様な木製の靴ベラを手に取り、振りかざした。
咄嗟に反応するが、丸腰では急所を守るのが精一杯で、腕で受け止めざるを得なかった。
ただ、腕が熱かった。
尚も次の一撃を見舞おうと靴ベラを振り上げる父に、足を向け防御態勢を取り、睨みあった。
次の一撃は無かったが、「どうしてお前の頭はいつもそんなに軽いんや」などと大声で罵られ続けた。
生まれてからずっと植え付けられた記憶が甦り、既に萎縮してしまっていた。
どうにかやり過ごし、自室に入ったが、寝たら襲われそうな気がするから、意識を閉ざしたくない状態だった。
殴られた腕は、血が出るし、腫れも強い。
悔しかった。
悲しかった。
二十数年間の恨み、憎しみが込み上げてきた。
涙が溢れ出た。
ほんの一瞬やり返したいとも思ったが、もし手を出せば、殺してしまいそうな気がして、必死に思い留まった。
深夜2時頃、田舎にいる母に状況報告のメールを送った。
しばらくして、母から電話が来た。
何度も謝られた。
始発までは待つつもりだったが、直ちに逃げる様に言われた。
そして、私は着の身着のままで飛び出した。

一人暮らしの家に戻る途中、過去と未来の全てに想いを巡らせた。
そして、再び母と電話で話し、その決断を伝えたのだった。
父との縁を絶つと。

タイトルは、私が最も胸を打たれた本の名前です。
発禁本に指定されたと思いますので、内容を簡単に紹介致します。
医師の息子が極度のスパルタ教育を受け、私の様に虐待された揚句、家に放火し、後妻と腹違いの兄弟が命を落としてしまった事件に関する本です。
社会的な評価が高い人物であったとしても、家に帰れば鬼になる父親もいるのです。

ひょっとしたら似たような境遇で苦しんでいる方もいらっしゃるかもしれない。
そう思って、今回は正直に綴りました。
この本の様な悲しい事件は防ぎたい一心です。
もし、これを読んだあなたがお困りならば、御連絡下さい。
何か出来る事があるかもしれません。
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2016.10.28追記

この日記には重大な嘘がある。

母も純粋な被害者のように書いてしまったが、彼女自身も私を虐待した加害者だった。
小学校を休まされて食事を与えられなかったときに、父親に隠れて食事を与えることは十分にできたはずなのにそれをしなかった。
あろうことか、母親自身も私を殴ったり、階段から突飛ばしたり、椅子を投げつけたり、一通りの虐待を行ったのだ。
私が成人してからも関係の修復は結局できなかった。
私の預金を使い込んだことも発覚した。
公表するのがためらわれるようなことも多々あり、身の安全のために一切の親族と絶縁している。

社会的に自立することができたのはラッキーケースなのかもしれないが、似たような過去を持つ人、現に苦しんでいる子供のためにできることをしたい。
それが精神科医になった理由である。

ブログ開設

初めまして。

東京都を中心に精神科医産業医、塾講師として活動中のあしながです。

このブログでは医師として経験したことを伝えたり、様々な悩みに寄り添う場にしたいと思います。

テーマとしては、医学に限らず、受験生へのメッセージ(勉強法も含む)も取り入れたいと思います。

こんなテーマがほしいとのリクエストがあればお応えしたいです。

よろしくお願いします!